ブックタイトルtayori2014-32

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概要

tayori2014-32

16 後援会たより No.32卒業論文「人生は感謝と感動で(^?^)」卒業する卒業生の父 1976年(昭和51年)の暮れ、滋賀県に住んでいた私は高速夜行バスに乗って東京秋葉原へ行きました。東京駅に着いたのは早朝で辺りの店はどこも開いていませんでした。寒さ除けに八重洲地下街に入ったのですが、やけにキーキーと音がします。後で分かったのですが夜間のネズミと酔っ払い除け?のようです。当時の趣味はマイコンで80系(インテル)プロセッサーにはまっていました。なぜかは今から言えばちょっと変なので想像にお任せします。今でいえばアンドロイドかiOS か?ちょっと違った、ソフトウェアじゃありませんから。そんなことはどうでもよいので本題に戻ります。 秋葉原の電気街は開店が遅く11時ごろまで待たされやっとの思いで、ラジオ会館(今は本館が閉鎖)7階のサービスセンターBit-INN の中に入りました。そこでNEC のマイクロコンピューターTK-80 を目にしました。というよりこれが目当てにわざわざ親の反対を振り切って東京まで来たのです。これまで勉強してきたのはFACOM230、HITAC 8000、NEAC-2200、OKITAC 6000 などの大型コンピュータがメインだったので、こんな小さなコンピュータがあるのや、ということで今から思うと感動だったのです。早速このキットと専用電源も含め給料の2 ヶ月プラスα分も出して買い求めました。 買ってしまえばこっちのものという思いでした。キットですから持って帰ってもすぐに動くわけではありません。更にはプログラムを入力しなければなりません。もちろんC言語でもなくマシン語です。ここから勉強しないといけないと思っただけで感動が覚める思いでした。そんなことは後で思い知ることになりました。 帰路は国鉄(今はJR)で帰ることにしました。東京駅23時23分発大垣行です。この電車は人気が良いためたくさんの人です。30分前にホームに入ったのですがもう一杯です。仕方がなく車両の一番端の席に空きがあったのでそこに座りました。はじめは各駅停車のようでしたが途中から快速です。一番端なのでお客さんの出入りは激しくそのたびに冷気が入ってきてとても寒い思いをしました。大事なマイコンは網棚の上は危ないと足元に置いておきました。朝方、大垣に着きそこから更に西明石行快速に乗り換えました。どちらも湘南型のかぼちゃ電車でした。 それから数日後に組み立てを始め一夜で完成させました。心を弾ませ電源ON でLED に数字が表示して大成功です。サンプルプログラムを入力し完全に動くことが確認できました。この時はただマニュアルどおりに作業しただけなのに大感動でした。自分で作ることの楽しさを味わうことができました。 そうそう、まだTK-80 のこと何も説明していませんでした。1976年8月3日にNEC(現在のルネサス エレクトロニクス)から販売されたマイクロコンピューター、システム開発のためのトレーニングキットで価格は本体のみ 88,500円です。CPU にインテル社の8 ビットマイクロプロセッサ8080 と互換性のあるμ PD8080A を使い、表示装置に8桁の7 セグメントLED、入力に16進キーボードを備え、機械語でのプラグラミングおよびその実行が可能でした。さらに、組立マニュアルの他に回路図とモニタと呼ばれる基本ソフトのプラグラムリストが付いていたのです。CPU、ROM、RAM、I/O チップなどの構成部品を1枚の基板上に実装し最小構成のマイクロプロセッサシステムを構成しています。通常ROM にはモニタ/デバッグプログラムが置かれていますが、ユーザーが自分用のプログラムに置き換えて各種の実験を行ったり、あるいはそのままそのボードを制御用部品として製品に組み込むこともできました。今でいえばPIC とかArduinoといったところでしょうか。 そんなマイコンも時代の流れには勝てなく間もなくTK-80BSが出て、数年後にはPC-9801 が花盛りになりました。このころにはTK-80 の存在感がなくなって段ボールに押し込まれ倉庫の奥で眠ってしまいました。大掃除で取り出したとき電源を入れましたが何の表示もされませんでした。すでに7年くらい経っていましたのでCPUでも壊れているのかと思っていました。それから何回もお目にかかりましたが壊れているので捨てようかと思ったこともしばしばありました。しかし、あれだけの感動を得たのだから粗末にしてはいけないと今日に至っています。 38年経った今年の正月に、思い出したようにあの